Joan Feynmanさんの訃報に触れて、ずいぶん昔に書いたエッセーを思い出したので再掲しようと思います。

私の人生に大きな影響を与えた、二人のリチャードについてのエッセーです。
今見ると、とても恥ずかしい感じがします。

ハッカーへのあこがれ

高校生の時分、私はハッカーへの憧れを持っていました。
How To Became A Hackerとか、ポール・グレアムのエッセーを読んでは心躍らせていた事を覚えています。

そんな私がLinuxに行き着くのは当然で、高校入学とほぼ同時に知人からもらったPentiumIIIのマシンにLinuxを入れて多くのことを学びました。
CやPascal、シェルスクリプトやawkを学び、Ruby 1.4時代に書いたコードがRuby 1.8の登場でほぼ全滅させられてRubyを嫌いになり、Lispに手をつけ始めたのもこの頃のことだったと思います。

本当に多くのことを学びましたが、その中でも最大の出会いはEmacsとの出会いでした。
高校時代にEmacsを使い始めて以来、ほぼ一貫して、エディタはEmacs系のエディタを使っています。
(他のエディタを使うときも、Emacsキーバインドのあるものでなければ使えません)

Lispを学び始め、Emacsをさわっていれば、自ずとGNUの創始者に行き当たります。これが、一人目のリチャードとの出会いでした。

RMSはヒーローだった

一人目のリチャードは、名前を Richard Matthew Stallman (リチャード・ストールマン)と言いました。
本屋さんで見かけて気になって、図書館で借りて読んだ「フリーソフトウェアと自由な社会」で彼の思想に触れたことは、その後の人生にも強い影響を与えていると思います。

当時の私の目には、彼は古くからのハッカーで、主に怒りをエネルギーにして一人でGCCやEmacs、果てはGNUといったプロダクトを作り上げようと苦心した孤独なヒーローに映りました。

彼に憧れて育った結果、自分の作ったソフトウェアは誰でも自由に使えるようにするべきという思想を今でも持っていますし、仕事でプログラムを書くようになった今でも、可能ならばより自由なソフトウェアの世界で暮らしていきたいと考えています。

私の目に映った、リチャード・ストールマンの「苦しみながらも独力で物事を変えるために動く」というスタイルは、私が仕事やプログラミングに取り組む姿勢そのものなので、相当強い影響を受けたのだと思います。

自分で調べたり、実験しながら道を切り開くために学びの速度は遅く、モチベーションが保てないためにいつまでも同じスキルレベルをうろうろしている事もありますが、型のようなものは彼から学んだのだと感じています。

大学での学び

その後、コンピュータをやりたいと考えて、家から一番近所の工学部を持つ大学に進学します。
専攻は計算工学。字面だけ見ればいかにも計算機とがっぷり四つで取り組む学科だ!というイメージだったので、詳細をよく調べもせずに進学しました。

蓋を開けてみると、この学科はコンピュータを道具にして物理学の問題を解いていく、物理学科のお化けみたいな学科だということがわかります。

工学部系の学科によくあることだと思いますが、田舎の広いキャンパスには遊ぶ場所も物も無く、友達も多くなかったので、足は自然と図書館に向かいました。

私は高校時代に物理学を勉強していなかったため、この学科でやっていくのは大変な苦労がありました。
1年生の段階で課される力学の授業ですらチンプンカンプンで、単位を落としそうなほどに理解できていませんでした。

そんな折、力学の授業を持っていた教授が「入門に良い」と紹介してくれたのが「ファインマン物理学」でした。
これが、二人目のリチャードとの出会いです。

人生のヒーロー、ファインマン先生

Richard Feynman (リチャード・ファインマン)は第二次世界大戦の時代を生きたアメリカの理論物理学者です。
出会いこそ、彼の講義を記録した物理学の教科書「The Feynman Lectures on Physics」でしたが、「ご冗談でしょうファインマンさん」をはじめとする彼の人となりがわかる書籍を多数読み、どんどん彼のファンになっていきました。
(ファインマン物理学シリーズは自費で全巻を揃え、就職した最初のお給料で原著を書いました。今でも私の宝物です。)

ファインマンが私のヒーローになったのは、ファインマン計算機科学という書籍が決定的でした。
ずいぶん古い教科書ですが、半導体の仕組みから現代ですら実現できていない量子コンピュータの議論まで幅広い話題を扱っていて、計算機の話題の本質は物理学であることをよくわからせてくれた書籍だと思います。

彼の一番好きなエピソードは、オーロラの権威、赤祖父 俊一先生が、視察に来たファインマンに助言を求めたときの話です。
赤祖父先生からオーロラについての意見を求められたファインマンは、「オーロラは妹の領分だから、自分は口を出さないことにしている」と言って意見を出さなかったと言います。

好奇心の向くままに、徹底的に自然の不思議と戦い、とても広い範囲の物理で活躍した彼が、妹のために自然科学の謎を残しておくままにするーーそんな一面が見えるエピソードで、彼の人となりがよくわかってとても好きです。

ファインマンからは、物事と楽しんで向かい合う姿勢や、自分が納得するまで突き詰める姿勢、いかにして問題を解くか?といった考え方を学んだと思います。

今でもファインマンは私のヒーローで、人生を楽しくやっていくためのお手本になってくれている偉人です。

二人のリチャードのおかげで今の自分がある

ストールマンとファインマン、ふたりのリチャードが居たことで、今の私は同世代の平均よりもちょっとだけ幸せな生活が送れていると感じます。

この二人との出会いがなければコンピュータの道を歩む事もありませんでしたし、コンピュータと現実世界の繋がりに楽しみを覚える事も無かったでしょうし、様々なことに興味関心を持ち、その対象を広げ続けるバイタリティーも沸かなかっただろうと思います。

ふたりのリチャードとの出会い。これこそが、今の私にたどり着くために重要な道標だったのかもしれません。