1月に入ってからあまり調子が良くなくて、藁にも縋る思いでつぶやいたところ、友人から心療内科の受診を勧められたので先日初めて心療内科に行ってきました。

診断結果は「抑うつ症状が見られる」との事。
幸い、診断の段階で最悪の状態は脱していたため、不安を感じたときに飲む薬を処方してもらって、しばらく通って様子を見ることになりました。

今回は抑うつ症状と診断されるまでと、そこから自身がどう変化したのかを観察した様子をまとめてみようと思います。
(書き始めたのは1月24日ごろでしたが、書きあがるまでに1週間近くかかってしまいました)

ある金曜日のできごと

年末からかなり仕事が詰まっていて、その週の週末には大学院の入試を控えている状況下で一気に症状が現れました。
皮膚が泡立つような感覚に加えて強烈な不安感・焦燥感が出てきて、リモートで人としゃべっている間は平静を装うことができていたと思いますが、その実、胃がギュッと締め付けられて食事もまともに取れず、なんのきっかけもなく涙を流して泣いてしまうという症状が出始めました。

症状が現れた日は金曜日だったので仕事を早めに切り上げて眠ることにしました。
翌朝、どこにも持って行きようのない感情が出てしまって、家族に迷惑をかけてしまいました。

地面を這いつくばるような2週間

もう10年近くプログラマという仕事をしているので、締め切りが厳しい仕事であったり、タスクが山のように積まれた仕事であったり、夜遅くまで詰めて業務を行うような仕事というのはたくさん経験してきました。

月の労働時間が数百時間を超えるような働き方を経験したこともありましたが、今までこんな症状に見舞われたことはありませんでした。
症状を端的にまとめると

  • 文章が読めない、人の話を理解して考えることができない
  • 舞台に上がる直前のような、皮膚がぷつぷつと沸くような感触が常にある
  • やることはわかっているのに、やれない(手や思考が動かない)
  • 何でもないのに急に悲しくなり、涙が止まらなくなる(日に何度も、なんでもないタイミングで泣く)
  • 食欲が極端に落ちている(昼は食事がとれず、夜もおかゆを少し食べられる程度)

といった症状で、朝も起き上がるのがつらく、自分で顔をはたいたり大きな声をあげたりしながら何とか起き上がるといった日々がおよそ2週間続きました。
(ちょうどこのころ心療内科の受診を勧められたのですが、この2週間のうちは病院に行くこともできませんでした)

夕方から夜になると気持ちも調子も少し上向くのですが、夜には「明日は大丈夫」という気持ちになっていても、朝起きるとまったくダメという日の繰り返しで、言い表しようのないつらさがありました。

症状が続いて2週間、いよいよ自分の力ではどうしようも無いという段になって、ようやく近所の心療内科に予約を入れました。
予約を取れたのが翌週の土曜日だったので、非常につらい状況にあるものの、1週間なんとか踏ん張って受診することにしました。
(今考えると、電話で予約を入れればもっと柔軟に対応してもらえたかもしれないと思います。けれども、電話をして知らない人と話す事に異様な恐怖感があり、電話をすることがままならなかったので、ネットから予約のできる病院に絞って診療の予約をしました)

少し上向く

2週間が経った月曜日、以前から妻と約束をしていた大相撲初場所の観戦に出かけることになりました。
とても観戦を楽しめる精神状態ではありませんでしたが、以前からの約束ということもあって何とか自分を奮い立たせて出かけました。

この日は連勝中の大栄翔(後に初場所優勝)に宝富士という力士が当たる日でもありました。
宝富士は出身地こそ違うものの、年齢や誕生日も近く、勝手に親近感を覚えていた力士です。
勝負の一番。宝富士の勝利 ―― これまで大関や関脇、小結など番付上位の力士を全て倒してきた大栄翔に初めて土をつけたのです。

この時に、升席で目に涙をためながら「宝富士が頑張れたなら僕も頑張れる」と強く感じ、調子が上向くようになりました。
ひどい状態になった要因もよくわからなければ、調子が上向く要因もとても些細な出来事でした。

実際に、この日以降は涙を流す頻度も減り、火曜日は1回、水曜日は3回、その週の木曜日・金曜日に至っては0回と明らかに改善しているのがわかりました。

皮膚が沸くような感覚も日に日に落ち着き、心療内科に行くころには「昼時に食欲がわかない」ことと、以前ほどひどくはないものの「やることはわかっているのに、やれない(手や思考が動かない)」という症状が残るのみになっていました。

心療内科を受診する

心療内科では、はじめにアンケートを書いたうえで心理士さんによる面談があり、その後医師による診察という流れでした。
14時予約でしたが解放されたのは16時ぐらい。そのうち診療にかかった時間は正味30分ぐらいだったので、ほとんど待ち時間だったように感じます。

心理士さんとの面談はインタビューのようなもので、家族構成は?とか最近生活で変わったことは?とか、記入したアンケートをベースにして色々質問される形で、治療的な事は何ひとつ行われませんでした。

医師の診察では、抑うつ症状であること、過去に経験したストレスレベル等とは関係なく発症するものであること、9割近い人が再発するものであること等、症状に対する説明の後、治療方針が示されるというものでした。

初回ですでに改善しているという事もあって、「不安を感じたらその時に飲む」というタイプの薬を少量処方してもらいました。
この他、実費でカウンセリングを受けることもできるそうですが、受診した時点では特に聞いてもらいたい話も無かったのでカウンセリングはお断りして、採血をして診察がおわりました。

1週間後に採血の結果を聞いて、それを土台に今後どういう治療をしていくのか(そもそも通いでの治療が必要なのか)という所の話になるようなので、体との付き合い方はこれから考えていくという段階にあります。

まとめ

心療内科を受診するのは、私自身よりも家族のハードルが高かったようです。(鬱への対処役は依存性があるものもあり、心療内科の治療というと、そういう薬漬けにするような印象が強い人も多くいるとの事でした)

また、私の症状の程度もあったのかもしれませんが、依存性の強い薬を出されることもなく、(まだ治療の進め方などはこれからですが)その病院に通ってきている人を見ても警戒が必要な場所ではないと感じました。

症状の緩和に向けて、自分でやってよかったと思うことは、記録をすることでした。
しんどいと思った時の症状を文章に書いたり(ひたすらシンドイと書き続けても良いし、心に浮かんだ言葉を書き連ねても良い)、症状が悪化した時刻を記録したり、泣いてしまった回数をメモしたり、そうやって自身が変化しているデータを蓄積していく事で、全体から見ると今日はひどいとか、ひどい気がしているけど、データを見るとそうでもない(から安心感につながる)とか、そういう傾向があったように思います。

それでも、宝富士の勝利を契機に症状が好転した事は間違いないので、しんどくても多くのものに触れて刺激を受け、症状が改善するかもしれない小さなきっかけに出会える確率を上げていくもの大事だと感じました。

振り返ってみると、実は仕事の能率が下がり始めたのは昨年の10月頃だったので、そのあたりからシグナルは出ていたのかもしれないと考えています。
調子は好転しているものの、まだ仕事の能率が元のように戻ってはいないので、能率を戻すか集中したくなるぐらい面白い仕事ができるような環境に移動していくかを考えているところです。

今後は治療の経過など、変化があれば記録して残していきたいと思います。

最後に、実際にやって良かったことのリストを挙げておきます。

  • 記録する(気持ちを書き出す、悪化した時刻や泣いた回数を記録する)
  • できるだけ多くの、普段は経験しない新しい刺激に触れる
  • 早めに病院にかかるようにする。(無理をしない)

2月末の追記

その後順調に回復して、2月20日には心療内科も完療となりました。
全治1か月と考えると結構な大けがと同等のダメージだったことがわかります。
世の中の人はストレスコントロールとか体調管理とか言いますが、今回経験してみて、それらのパラメータはコントロールできない変数であることを痛感しました。

もう一度あの感じを味わうのはとても嫌だと思うので、できるだけ気分よく過ごせるように生活環境や取り組む仕事の環境を整えるような動きをしていきたいと思います。

さらなる追記

その後、様々な理由から生命保険に入る段になって、心療内科にかかった事が審査でほぼ100%落とされる事由になることを知りました。
これだけ心療内科が広くある状態にありながら、そこにかかったことを理由に保険加入を断られてしまうのは制度上の大きな問題だと思います。
保険業界が諸々改めて、完療している人に対しては門戸をより広くしてくれることを願ってやみません。